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長崎地方裁判所 昭和60年(ワ)316号 判決 1987年11月27日

原告

石尾卓

外一八名

右訴訟代理人弁護士

仙谷由人

美奈川成章

有馬毅

被告

三菱重工業株式会社

右代表者代表取締役

飯田庸太郎

右訴訟代理人弁護士

古賀野茂見

木村憲正

主文

一  被告は、原告石尾卓に対し金三二一六円、同歳田忠顕に対し金三五二二円、同中西紀久男に対し金七八〇円、同氏家久博に対し金一三六七円、同黒田徳一郎に対し金一三六〇円、同高比良宏に対し金一四七九円、同野田英彦に対し金一二〇九円、同溜渕信一に対し金一七一三円、同堀田敏之に対し金一三七四円、同草野光善に対し金二六六二円、同久保田達郎に対し金二三五〇円、同田浦幸勝に対し金二五四二円、同進藤成志に対し金二五三四円、同中村博に対し金一四六五円、同宮副武夫に対し金二一二一円、同野中義民に対し金二二七四円、同長谷川広に対し金二六八九円、同増田献治に対し金二六二五円、同木山卯八に対し金二〇七三円及びこれらに対する昭和六〇年八月三日から支払いずみに至るまで年六分の割合による各金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、肩書地に本社を、長崎、神戸、横浜等各地に事業所を有し、船舶、航空機、重機械等の製造、修理、販売等を行う株式会社であり、原告らは、いずれも被告会社長崎造船所に勤務する従業員である。

2  被告会社は、原告らが昭和六〇年六月一日から同月三〇日までの労働日中、別表記載の日に、同表「作業場到着時刻」欄記載の時刻に各自の作業場に到着して同表「不就業時間」欄記載の時間分を勤務しなかつたとして、右不就業時間のうち、三〇分の整数倍となる時間につき勤務を欠いたものとし、残余は切り捨てる方法によつて計算したうえ、原告らに対し、同年六月分の賃金支払日であつた同年七月一九日、右計算に基づき別紙二記載の各金員を支払わなかつた。

3  しかし、右賃金の不払いは以下のとおり理由がない。

(一) 被告会社長崎造船所の社員就業規則(以下「就業規則」という)では、原告らが勤務する一般部門の始業時刻を午前八時、終業時刻を午後五時と定め、一日の労働時間を八時間(但し、午前一二時から午後一時まで休憩時間)とするとともに、その就業規則第八条四項において、その始終業基準につき、以下のとおり定めている。

(1) 始業前 始業に間に合うよう更衣などを完了し作業場に到着する。

(2) 始業 所定の始業時刻に作業場において実作業を開始する。

(3) 終業及び終業後(省略)

(実作業の定義)

イ 実作業

始業付帯作業、本作業及び終業付帯作業

ロ 始業付帯作業

準備体操、朝礼、動力源・冶工具・材料等の段取り、図面・作業指示書等の点検、機械装置の注油・点検及び慣らし運転等の作業

ハ 本作業

本来の作業

ニ 終業付帯作業(省略)

(二) 被告会社が主張する別表記載の各原告らの不就業時間は、いずれも原告らにおいて午前八時の始業時刻に作業服・安全保護具等の着装を開始してから、これを終えて実作業に就くべく所定の準備体操場(準備体操は前記のとおり始業付帯作業として実作業とされている)まで歩行するなどして到達するのに要した時間である。

(三) 原告らは、労働安全衛生法規や被告会社の諸規則に基づく上長の指示により、実作業にあたり作業服・安全保護具等の着装が義務付けられているが、これは企業目的である労働力の確保と配置、作業能率や生産性の向上、職場秩序の維持、安全配慮義務など経営管理と業務遂行上不可欠のものとしてなされている。従つて、これを懈怠すると就業規則に定められた懲戒処分や就労拒絶の取扱いを受け、また成績考課に反映されて賃金の減収にもつながるのであるから、右作業服・安全保護具等の着装及びこれらを作業場から離れた更衣所等の場所で行うこととされているので、事の性質上当然に右場所で作業服・安全保護具等を着装した後実作業に就くべく実作業場近接の所定の準備体操場まで到達するための歩行等は、いずれも業務の一環をなし、これに要する時間は労働基準法上の労働時間に該当するというべきである。

(四) そうすると、右作業服・安全保護具等の着装及びこれを終えて実作業に就くべく所定の準備体操場までの歩行等に要する時間を就業規則で定められた労働時間に加算すると、被告会社の労働時間は労働基準法三二条一項の定める一日八時間の制限を超過することとなるから、就業規則の右条項は強行法規に違反し無効である。

そして、就業規則の前記条項が無効となる結果、原告らは始業時刻前に作業服・安全保護具等の着装をなすべき義務を負わなくなるのみならず、始業時刻以後になした作業服・安全保護具等の着装について賃金請求権を得ることは、就業規則にも原告らと被告会社との間の労働契約にも、右作業服・安全保護具等の着装に要する時間に対しては賃金を支払わないとするいかなる条項も存在しないことからも、また法理上労働関係が現実に展開された以上その労働の給付に対して賃金請求権が発生するとされていること(労働基準法上の労働時間における労働に対し賃金が支払われなくてはならず、無報酬の労働を義務付けることはできない)並びに労働基準法一三条後段のいわゆる無効部分の補充規定から見ても当然である。

(五) そうすると、就業規則は、前記のとおり午前八時から午後五時までを一日の所定労働時間とし、その一か月を単位とした月給制を採用しているから、原告らが午前八時の始業時刻に労働基準法上の労働時間に当る労務の提供、即ち作業服・安全保護具等の着装を開始した以上労働契約上の義務の履行を怠つたことにはならず、原告らは各労働契約に基づく所定の一か月分全額の賃金請求権を取得したものであり、被告会社の一部不払いは許されない。

4  よつて、原告らは被告会社に対し、右未払分の賃金である別紙二記載の各金員及びこれらに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和六〇年八月三日から支払いずみに至るまで商事法定利率年六分の割合による各遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3(一)  同3(一)の事実は認める。

但し、(1)にいう「更衣などを完了し」とは、更衣のほか、安全保護具等のうち、更衣の一部として連続してなされる範囲のものの着装の意味であり、作業中に使用するすべての安全保護具の着装を義務付けているわけではない。

(二)  同3(二)の事実は認める。

(三)  同3(三)のうち、原告らが労働安全衛生法規や被告会社の諸規則に基づく上長の指示により、実作業にあたり作業服への更衣及びそれの一部として連続してなされる範囲の安全保護具等の着装を義務付けられ、これを懈怠すると就業規則に定められた懲戒処分や就労拒絶の取扱いを受け、また成績考課に反映されて賃金の減収にもつながる場合があることは認めるが、その余の主張は争う。

(四)  同3(四)及び(五)の各主張はいずれも争う。

三  被告の主張

1  本件就業規則に定める始終業基準及び始終業の勤怠把握基準は、被告会社長崎造船所における多数組合である全日本労働総同盟全国造船重機械労働組合連合会三菱重工労働組合長崎造船支部と締結した労働協約に従い、その同意を得て、行政官庁に届出、受理されたものであり、かつ、我が国における造船、鉄鋼、電気、自動車の製造大手企業も、いずれも被告会社と同様の始終業の時間管理を行つており、かかる時間管理は行政官庁もこれに異議がなく、我が国の労働慣行ともなつていて、合理的なものである。

2  原告らは、作業開始前の作業服への更衣等に要する時間が労働基準法上の労働時間に当たると主張するが、同法三二条の労働時間とは、「使用者の自由な処分のもとにある時間」という意味で、労働者が使用者の指揮、命令の下に拘束されている時間をいうものと解釈されているところ、労働者が現実に労働力を提供する始業時刻の前段階である作業服への更衣等の所要時間は、これらの行為が作業開始に不可欠のものであるとしても、労働力提供のための準備行為であつて労働力提供そのものではないのみならず、通常は使用者の直接の支配下においてなされるわけでもないから、これを一律に労働時間に含めることは使用者に不当の犠牲を強いることになつて相当ではなく、これを労働時間に含めるか否かは結局就業規則にその定めがあればこれに従い、定めがなければ職場慣行によつてこれを決すべきである(日野自動車工業事件、東京高等裁判所昭和五六年七月一六日判決・労民集三二巻三、四号四三七頁。なお、その上告審である最高裁判所昭和五九年一〇月一八日第一小法廷判決も右結論を支持している。)。

そして、被告会社の就業規則は、右更衣等に要する時間を労働時間に含めないことを明言しているのであるから、原告らの主張は失当である。

3  労働安全衛生法上、使用者は労働者が作業服・安全保護具等の着装を行えるような措置を講ずる義務を負う場合がある(同法三条、二〇条ないし二五条)。しかし、労働者が作業服・安全保護具等の着装を行うのは、使用者の右措置義務を使用者に代わつて果たしているのではなく、労働者に対して課せられた労働者自身の義務(同法四条、二六条)を履行しているに過ぎないのである。

また使用者の労働契約上の安全保護(配慮)義務についても、使用者が安全保護義務の一環として労働者に対し作業服・安全保護具等の着装を行わせる義務を負う場合でも、労働者が作業服・安全保護具等の着装を行うのは、使用者の義務を労働者が使用者に代わつて果たしているのではなく、労働者自身が使用者の安全保護義務に対応して信義則上有する協力義務を履行しているに過ぎないのである。

従つて、いずれの場合も、労働者が作業服・安全保護具等の着装を行うのは、使用者の義務を行つているのではないから、その意味では労務を提供したことにはならない。

4  仮に、右作業服への更衣等に要する時間が労働基準法上の労働時間に当たるとしても、これに要した時間について直ちに賃金請求権が発生するものではなく、右更衣等に要した時間に対して賃金を支払うとの労働契約が存在するか、あるいはこのような場合に賃金支払いを義務付ける法令が存在しなければならないが、そのような契約ないし法令等は存在しない。

また原告らと被告会社との間の労働契約においては、従業員たる原告らは所定の始業時刻である午前八時までに更衣等を済ませて所定の作業場にいることとされ、更衣等に要する時間は一日八時間の所定労働時間外としてこれに対し賃金を支払うという約定は存しないのであるから、右更衣等に要する時間に対しては賃金を支払わないという趣旨を当然に含むものである。

5  仮に、右作業服への更衣等は所定労働時間外にせよという就業規則の規定が強行法規である労働基準法に違反して無効になるとしても、その効果としては、右規定が存在しなくなることによつて、労働者は始業時刻前に右更衣等をなすべき義務を負わなくなるだけのことであり、始業時刻以後になした右更衣等について賃金請求権が発生するわけではない。

6  原告らは、所定の始業時刻に遅れたものであるから、労働契約上の債務の本旨に従つた履行をしておらず、もともと右遅刻時間に相当する賃金請求権は発生していなかつただけであり、本件は一旦発生した原告らの賃金請求権の一部を被告会社において控除したものではなく、原告らはもともと労働契約上賃金を支払わないものとされている行為に対して賃金の請求をするものである。

第三  証拠<省略>

理由

一被告は、肩書地に本社を、長崎、神戸、横浜等各地に事業所を有し、船舶、航空機、重機械等の製造、修理、販売等を行う株式会社であり、原告らは、いずれも被告会社長崎造船所に勤務する従業員であること、被告会社は、原告らが昭和六〇年六月一日から同月三〇日までの労働日中、別表記載の日、同表「作業場到着時刻」欄記載の時刻に各自の作業場に到着して同表「不就業時間」欄記載の時間分を勤務しなかつたとして、右不就業時間のうち、三〇分の整数倍となる時間につき勤務を欠いたものとし、残余は切り捨てる方法によつて計算したうえ、原告らに対し、同年六月分の賃金支払日であつた同年七月一九日右計算に基づき別紙二記載の各金員を支払わなかつたこと、被告会社の就業規則には、原告らが勤務する一般部門の始業時刻を午前八時、終業時刻を午後五時と定め、一日の労働時間を八時間とするとともに、その就業規則第八条四項において、その始終業基準につき、請求原因3(一)記載のとおり定めていること、被告会社が主張する別表記載の各原告らの不就業時間は、いずれも原告らにおいて午前八時の始業時刻に作業服・安全保護具等の着装を開始してから、これを終えて実作業場に近接する所定の準備体操場(準備体操は実作業とされている)まで歩行するなどして到達するのに要した時間であることは当事者間に争いがない。

二そこで、原告らが午前八時の始業時刻から行つた作業服・安全保護具等の着装及びこれを終えて実作業に就くべく所定の準備体操場までの歩行等に要した時間は、労働基準法上の労働時間に該当するか否かについて判断する。

1  労働基準法三二条の規制の対象となる労働時間とは、使用者の指揮監督下に労務を提供している時間をいうと解されるところ、右労務の提供のうちには本来の作業に当たらなくとも、法令、就業規則、または職務命令等によつて労働者が労務の提供を開始するに当たつて義務づけられこれを懈怠したときは不利益取扱を受けることから、必要不可欠ないし不可分の準備行為とされているものも含まれるというべきである。すなわち、労働者が従事する作業の性質いかんによつては、法令により業務上の災害防止の見地から作業服及び安全保護具等の着装が義務付けられている場合があり(労働安全衛生法四条、二六条、同規則一〇五条、一一〇条、五二〇条、五五八条、五九七条等)、これらの着装は本来の作業を遂行するため必要不可欠な準備行為であるから、それは使用者の指揮監督下においてなされる労務の提供と解され、これに要する時間は右労働基準法上の労働時間に含まれるというべきである。また使用者が労働契約上の安全配慮義務を尽くすため作業上の安全確保の見地から作業服及び安全保護具等の着装を就業規則等で労働者に義務付け、或いは使用者が作業能率の向上、生産性の向上、職場秩序の維持など経営管理上の見地から労働者に作業服・安全保護具等の着装を義務付け、これを懈怠した労務の提供を拒否され不利益を課される場合があるが、このような場合も作業服及び安全保護具等の着装は本来の作業を遂行するにあたり必要不可欠ないし不可分の準備行為といえるから、使用者の指揮監督下においてなされる労務の提供と解され、これに要する時間も右労働基準法上の労働時間に含まれるというべきである。

2  そこで、これを本件について見るに、原告らは、労働安全衛生法規や被告会社の諸規則に基づく上長の指示により、実作業にあたり作業服への更衣及びその更衣の一部として連続してなされる範囲の安全保護具等の着装を義務付けられ、これを懈怠すると、就業規則に定められた懲戒処分や就業拒絶の取扱いを受け、また成績考課に反映されて賃金の減収にもつながる場合があることは当事者間に争いがないところ、原告らが義務付けられている右作業服への更衣及びそれの一部として連続してなされる範囲の安全保護具等の着装は本来の作業に不可欠の準備行為であり、使用者の指揮監督下における労務の提供といえるから、右更衣等に要した時間は労働基準法上の労働時間というべきである。また原告久保田達郎本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認められる<証拠>によると、右更衣等を作業場から離れた更衣所等で行うこととされているので、事の性質上当然に右更衣所等で更衣等をした後実作業に就くべく所定の準備体操場まで到達するための歩行も、本来の作業に不可欠の準備行為で、使用者の指揮監督下における労務の提供といえるから、右歩行に要した時間も同様に労働基準法上の労働時間というべきである。

3 そうすると、被告会社が原告らに対し勤務を欠いたとして賃金を支払わなかつた別表記載の「不就業時間」は、前記一のとおりいずれも原告らにおいて午前八時の始業時刻に作業服・安全保護具等の着装を開始してから、これを終えて実作業に就くべき場所である所定の準備体操場まで歩行するなどして到達するのに要した時間であることは当事者間に争いがないので、原告らが現実に行つた右作業服・安全保護具等の着装及び準備体操場までの歩行に要した時間は労働基準法上の労働時間というべきである。

(もつとも、原告らが現実になした作業服・安全保護具等の着装のうち、被告が義務付けを争つていない作業服への更衣及びそれの一部として連続してなされる範囲の安全保護具等の着装以外の行為が仮になされていたとしても、右「不就業時間」中に本来の作業の準備行為とは全く無関係の行為がなされたとする反証はないので、それは争いのない義務付けられた作業服・安全保護具等の着装と同一機会になされたものと推定され、従つて、右「不就業時間」になした原告らの行為はすべて法令または被告会社の諸規則によつて義務付けられたものであつたと認めるのが相当である。)

4  なお被告は、原告らが行つている作業服・安全保護具等の着装は、労働安全衛生法規上労働者に対し課せられた労働者自身の義務の履行として、或いは使用者が労働契約上負つている安全保護義務に対応して労働者自身が信義則上負担している協力義務の履行として行つているに過ぎないから、原告らの右行為は労務の提供とはいえないと主張するので、この点について判断するに、なるほど労働者は、労働安全衛生法四条及び二六条等によつて使用者が講ずる安全衛生措置に応じてこれに協力し、かつ必要な事項を遵守する義務を負つている。しかし、これは、使用者が労働災害の防止等の責任の大半を負うべきものではあるが、事の性質上労働者もこれに協力して必要な事項を遵守しなければ万全ではないという趣旨に基づくものであつて、その労働者の義務はあくまで使用者の負う義務に対応付随するもので、業務の遂行と切り離して存在するものではないから、前記のとおりこの義務の履行に基づく作業服・安全保護具等の着装は使用者の指揮監督下における労務の提供というべきである。また使用者の労働契約上負つている安全保護義務に対応して労働者がその協力義務の履行として作業服・安全保護具等の着装を行う場合でも、その義務の主体は使用者であつて、労働者は付随的に協力義務を負つているに過ぎず、それは業務の遂行と不可分の関係にあるから、この義務の履行としての右作業服・安全保護具等の着装も使用者の指揮監督下における労務の提供ということができる。

従つて、被告の右主張は採用しない。

5  また被告は、作業服・安全保護具等の着装は、労働力提供のための準備行為であつて、労働力の提供そのものではないうえ、使用者の直接の支配下においてなされるものでもないから、これを労働時間に含めるか否かは就業規則の定め等によつて決すべきであると主張する。しかし、労働基準法上の労働時間は客観的に定まるものであつて、就業規則や職場慣行によつてそれを左右することはできないというべきである。勿論、労働基準法に反しない限り始業の起算点をどの時点に定めるかは労使の合意により自由に定めることができ、労働基準法上、労務の提供と目されない入門時ないし労働者に義務付けされていない単なる準備行為の開始時を労働時間の起算点として賃金支払の対象時間に取り入れることは自由であるが、前記のとおり原告らの行つた作業服・安全保護具等の着装に要した時間は使用者の指揮督監下における労務の提供で労働基準法上の労働時間であるから、就業規則の定め等で決すべき事柄ではない。被告の右主張も失当である。被告は、右主張を支持するものとして、日野自動車工業事件についての最高裁判所の判決を引用しているが、本件の場合に妥当するものとは言い難い。

三次に、被告は、原告らが始業時刻である午前八時からなした作業服・安全保護具等の着装及びその後の準備体操場までの歩行に要した時間が労働基準法上の労働時間に当たるとしても、これらの行為をなしたからといつて当然に賃金請求権が発生するものではなく、右行為に対し賃金を支払う旨の労働契約が存在するか、或いは右行為に対し賃金支払いを義務付ける法令がない以上、賃金請求権は発生しないと主張し、原告らの賃金請求を争つているので、右行為に対して賃金請求権が発生するか否かについて検討する。

1  <証拠>によると、就業規則及び賃金規則では従業員が一か月の所定労働日において所定労働時間(八時間)実作業に従事することによつて一か月分の賃金全額を得ることができる旨規定されていることが認められる。そして、右規則は、原告らと被告との間の労働条件を律する法的規範となつていて原告らに対しても適用されるので、原告らは一か月の所定労働日において所定労働時間実作業に従事することによつて、一か月分の賃金全額の請求権を得ることができる。

2 ところで、被告会社の就業規則では一日の労働時間を八時間とし、作業服・安全保護具等の着装は始業時刻前になすべきものとして実作業から除外する旨定めていることは前記一のとおり当事者間に争いはないが、前記二のとおり右行為に要する時間は労働基準法上の労働時間にあたり、その時間を就業規則で一日の労働時間から除外すると、原告らの労働時間は労働基準法三二条一項の規定する一日八時間の制限を超過することになるから、就業規則における作業服・安全保護具等の着装を実作業から除外する旨の右定めは労働基準法に違反し無効であり、従つて、原告らは右就業規則によつて始業時刻以前に作業服・安全保護具等の着装を義務付けられず、就業規則上、実作業を以て始業時間とする午前八時以後にこれを行つても労働契約上債務不履行にならないことは明らかである。

なお被告は、就業規則に定める始終業基準等が被告会社長崎造船所における多数組合と締結した労働協約に従い、その同意を得て、行政官庁に届出、受理されたものであり、かつ我が国における大手企業も同様の始終業の時間管理を行い、行政官庁もこれに異議がないなど、我が国の労働慣行ともなつていて合理的なものであると主張する。なるほど、文書の様式からして真正に成立したものと認められる<証拠>によると、我が国の大手企業の就業規則には被告会社と同様の始終業に関する規定がみられ、これが、労働基準監督署に届出受理されていることは推認できなくはないが、そのことから被告主張のような労働慣行が確立し行政解釈が行われているとは断じ難い。しかも、右のとおり就業規則の定めが強行法規である労働基準法に違反すると解される以上、仮に右のような行政上の取扱や労働慣行が存在するとしても、それらに法的規範性を認めることはできない。

3 そうすると、前記二で述べたとおり、労働安全衛生法規や被告会社の諸規則によつて義務付けられた作業服・安全保護具等の着装は、本来の作業に必要不可欠ないし不可分の準備行為であつて、使用者の指揮監督下における労務の提供と解され、その労務の提供に対してはその対価である賃金請求権が発生するといわなければならない。仮に、被告主張のように、始業時刻以後に行われた作業服・安全保護具等の着装につき実作業ではないとして賃金が支払われないとすると、一か月分の賃金全額を得るためには結局始業時刻以前に右行為を完了していることが必要となるが、それでは間接的に右行為を始業時刻以前に完了することが強制される結果となり、労働基準法の規制の趣旨が没却されることになる。

この点について、被告は、殊更に作業服・安全保護具等の着装に要する時間が労働基準法上労働時間に該当するとしても、これに対して賃金の支払を義務づける法令も労働契約も存在しない旨主張している。しかしながら、労働基準法三七条は一日に八時間を超えて労働させた場合「割増賃金を支払わなければならない。」としていることに徴しても、原告らが仮に始業時前に作業服・安全保護具等の着装を余儀なくされていれば、それに要した時間については労働基準法上割増賃金が支払われるべき筋合のものであるから、原告らが右着装を始業時刻後になしたについては、所定の賃金が支払われるべきは当然というべきである。

従つて、原告らの行つた始業時刻以後の作業服・安全保護具等の着装及びそれを終えて所定の準備体操場までの歩行等は、前記三1の被告会社の就業規則及び賃金規則に規定された所定労働時間における実作業ということができるので、右行為についても賃金請求権が発生するというべきである。

してみると、被告は、原告らに対し、同人らが勤務を欠いたとして支払わなかつた賃金である別紙二記載の各金員及びこれらに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和六〇年八月三日から支払いずみに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

四以上によると、原告らの本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官松島茂敏 裁判官大段亨 裁判官大須賀滋)

別紙一原告目録<省略>

二請求金額<省略>

別表6月実働分における原告らの作業場到着時刻及び不就業時間<省略>

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